ある朝私は街を散歩しているうちに、繁華街の一角の色褪せた、黄金を其の名に冠する小さな空間に、偶然にも迷い込んだ。そこは街というよりも路地に近いような、狭い幅の道にせせこましく小さな飲み屋の立ち並ぶ、窮屈な空間である。それ程立派な建物でもないのに、一つ一つの店が分厚い雲に覆われた灰色の空を遮り、その路地の空気を暗くしている。先程から降り出した柔らかい雨が、足下のアスファルトを少しづつ濃い色に染めていった。
個々の店は非常に小さい。入り口の扉は漸く一人の人間が通れるほどの幅しかない。まるで別世界の小人国に来たような錯覚を覚える。小さな泥と埃にまみれた洗濯機と、植木鉢に入った申し訳程度の緑木と、小さな子供用のサンダルが其の傍に置いてあった。
――嗚呼、此拠には小さな子供が住んでいる。だから此拠には、生活の臭いがするのだ。
この場所の活気は夜にある筈だ。様々な出来事を見、聴き、学んでゆく子供達は此拠で何を見て、それをどのように受け止めるのだろう。此拠では泣くも笑うも同じことである。酒を飲み、酔えば心の壁は氷解する。心配事などすっかり忘れて、心置きなく笑う。それは泣くしかない自分自身を笑い飛ばしているのである。或は、ままならない世の流れに身をやつす自分の身を嘆く。それは自分自身を嘲笑い、泣くのである。何れにせよ最後には、熱く火照った身体を醒ましてくれる誠実なる眠りの時が訪れる。素面の人間が道行く酔客を不快に思うのは、ただ誠実なる人間の本性というものが、誠実では生きていられない素面の人間の心に突き刺さるからである。誠実さとは、空から降り積もる真白な雪のようなものである。見た目は綺麗だが、触れれば冷たい。何も飾らない誠実さを人が持ち合わせているとしたら、それは何と冷たく心に突き刺さるものであろうか。そして実際の雪景色がそうであるように、降りしきる雪の止んだ朝に日常の中へ帰らざるを得ない者にとっては、誠実なる白い雪の残骸は、どんどん泥で汚れて行く見た目に不快な、厄介な存在でしかないのだ。
毎日毎夜、アルコールの力を借りて誠実さと感情とを熱気と共に剥き出しにする大人達を見て育つ子供は、大人という存在にどのような意義を見出すのだろうか。裏返された苦しみと、アルコールの酒精気とが織り成す熱気は、夜が更け、朝に近づいて行くと共に醒めてゆく。此の場所は、自分の醜さを包み隠してくれる闇の中でこそ映える。闇の中で自己の存在を主張する、其々の看板の小さな電気は程よく活気を生み、醜さを暗がりに隠し、熱気の膨張を助ける。しかし朝の清涼な光の中で此の場所を見れば、精一杯虚勢を張り、酒を飲み、そうすることで心の安らぎを得る奇妙な熱気が残骸を残して消えてゆく運命にあるということが、白日の下に曝け出されているのを痛感することになるのだ。
ばさばさと風を切る乱暴な羽音と共に、私の頭上を鴉の陰が遮った。まるで夜のうちに膨れ上がった熱気の闇が凝縮して鴉となって空中を舞い、奇妙に火照っていた熱気の残骸が、私の心にも陰を落とすかのようである。唯空から真直ぐに落ちてくる無数の柔らかな水滴が、その惨めな残骸を今にも消し去ろうとしているのみであった。
私の胸は締め付けられた。私の旅が終焉を迎えた後、残っているのはもしかしたら此の場所に渦巻いているような惨めな意識の残骸だけなのかもしれない。
居た堪れなくなってその場所を出た私に、古惚け錆付いて茶色くなった街頭の時計が、現実世界では各人のリズムに関係無く時が過ぎ行くことを思い出させた。時の流れは無慈悲だ。しかし無慈悲だからこそ有難い。時間は誰かを差別したりはしない。生命の光は川に浮かび流れて行く精霊舟の様なものである。精霊舟が朧げに光を放って流されて行くように、私達誰もが時間に逆らう事が出来ずに、其々の光を放ちながら、段々とやがて来るべき死という大海へ流されて行く。
私は、ふと空を見上げ、優しくしかし容赦なく降り注ぐ雨滴を顔に受け、眼を細めた。空を遮り、色褪せた街を見下ろすように建っている、神の社の壮麗な屋根が見えた。華麗な装飾の屋根に比べるとあまりにも簡素な、唯つるつるとした灰色の壁を眼で追っていくと、私はコンクリートの灰色一色の、裏口に続く小さな階段を見つけた。
私は其の狭い階段を上り、境内に入ろうとした。色褪せた街に背を向けると、狭い階段を一歩一歩上っていった。階段の一段一段を靴底で踏締める毎に、何故か私の心は今将に入ろうとしている壮麗な神の社ではなく、闇の中で膨れ上がった熱気の残骸に引きつけられた。最上段に構える一対の狛犬の脇を通ったときに、私はとうとう我慢できなくなり、後ろを振り返った。
私は褪せた黄金の街を見下ろしていた。私の両脇を固めている狛犬が、目に見えぬ何かを威嚇している様であった。私は其の視線の先に、先程の古惚けた街頭時計を見た。
威嚇しているのはあの時計か。
私はふと時計の長針が先程と全く変わらない位置にある事に気付いた。故障しているのか。あの街が時を止めることを欲しているのか。時間が止まれば、そこから先の発展は望み得ない。あの街はまるで諦めの坩堝ではないか。私は恐怖した。しかし其の恐怖がまた、私の心を何処か惹き付けた。私は踵を返し、零落(おちぶ)れた街の残骸を振り切るようにして、小さな鳥居をくぐって境内の中に入った。
境内には一人の人間もいなかった。ただ空から降ってくる繊細な雨のみが私を此の場所に迎え入れた。私は敷地内を見廻した。あの無念の情の煙った街に比べ、何と此拠の空気は清浄なことであろう。濡れた木々の緑葉が、空から落ちてくる雨滴に染織された空気を吸って、艶やかに静かに息づいている。
こんなに近くに在るのに、あの街の空気とは何と大きく違うことか。先程まで私の足元に纏わりついていた悲痛な残滓は、この場所の清浄な空気と彼方より落ちる雨に洗い流され、もう殆ど消えかけていた。此の場所の空気は熱気の残骸の存在を許さぬほどに、醒めていた。
...私は神と、対峙した。
神よ。貴方は何故此の色褪せた街を背にして建っているのか。真赤な鳥居と石灯篭の立ち並ぶ壮麗な境内に比して、あの色褪せた街に対して開いている入り口はあまりにも小さい。狭い階段の最上段を左右に守護する狛犬は、醜さを拒絶し、堕落を威圧する荒ぶる獣としか私には見えない。白壁を朱で縁取りされた神社の壁は、その裏側にある、精一杯黄金の箔を身に纏おうともがき苦しむ此の街をまるで無視している。俗世と神域を分ける標の真っ赤な鳥居も、清浄な白色と呪(まじな)いの朱色とで塗られた社の壁と同様に、私には貴方の虚構を構築しているものとしか映らないのだ。
貴方は何故、華やかな街の裏に、誠実さを剥き出しにせねば生きられないほどの苦しみと常に直面している人々が居ることを知りながら、彼らには狭い入り口しか与えようとはしないのか。色褪せた街の住人にとって、こんなに近くに壮麗な社が有るにも拘わらず、其処へ至る入り口の何と狭いことか。
...もしかして、貴方はただ我等を哀れむだけであるのか。
哀れみとは強い者が弱い者に感じる心の余裕である。自分自身が弱い立場に立っているときには、他人に哀れみをかけてやる心の余裕などない。強い者が感じる、自分より弱い者との差こそが哀れみの正体なのである。貴方が哀れみをかければかけるほど、貴方は自分が強い立場に立ち、相手が弱い立場に立っているという其の差を、痛感せねばならないのだ。弱い立場に立ったことの無い者が弱い者に対して何を言おうと、それは欺瞞でしか無いのだ。
神よ。貴方はその荘厳な社に居ながらにして、一体弱い者の何を解かろうというのか。貴方に出来るのは、精々我々を哀れむ事ぐらいではないか。
(旅の出発)